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笹幸恵
2021.10.1 09:06日々の出来事

忽那賢志の「利他的な意義」はあまりに幼稚だ。

昨日、トッキーが紹介してくれた忽那賢志の「ワクチン接種の意義」の一文、
あまりに幼稚すぎて開いた口が塞がらない。

『コロナとワクチンの全貌』発売!&忽那の驚くべき「利他的意義」

「2人の娘が接種するメリットは、男性で高血圧の持病を持ち
肥満でもある私が感染して重症化を防ぐという意義がある」

「接種する自身よりも利他的な意義が大きい」

……本気か? 本気でそれを言っているのか??

「まあ私がコロナに感染して死んだら娘たちも困るわけですから、
そういう意味では回り回って自分のためと言えなくもないかもしれません」

……本気か? こんな取ってつけたような薄っぺらな一文、
自分は打算的で軽薄な人間ですって言っているのと同じだぞ?

私は忽那のこの記事を読んで、ペルシャ湾掃海派遣の
あるエピソードを思い出した。

ペルシャ湾の掃海派遣というのは、1991年、湾岸戦争で
イラクが敷設した機雷を掃海するために派遣された、
海上自衛隊初の海外実任務だ。
掃海の任務はつねに緊張を強いられ、命の危険が伴う。
人間が地雷原を歩くのと同じで、どこに機雷があるかわからない。
どんな種類の機雷が敷設されているかもわからない。
発見し、処分するのも命懸け。

3ヵ月半という派遣期間、艦首で見張りの任に就いたのは
海曹(下士官)クラスのベテランたちだった。
通常は若い隊員が見張りをするのだけど、万が一
浮流機雷にぶつかりでもしたら、艦首が真っ先に被害を受ける。
「若者は少なくとも俺たちより長生きする権利がある」と言って、
ベテラン隊員たちが自発的に見張りを替わったのだ。

あまり知られていないエピソードなのだけど、
これこそまさに自己犠牲的な勇気であり、
利他的な行動だろう。


打たなくてもいいワクチンを自分の娘たちに打たせ、
それが「利他的な意義」だと?
そんなこと、よく言えたもんだね。
恥を知れ。

戦後の生命至上主義は、悲しいことに
自分の命こそ一番大事、そのために若者は犠牲になれ
という利己的で幼稚な年配者を生んだ。
そのことに疑問を持たず、まるで敬老精神の発露であるかのように
もてはやすメディアを生んだ。
また、それを当然のこととして受け入れる
傲慢な年配者を生んだ。

生命至上主義は、他者の命を尊ぶことを知らない、
じつにエゴイスティックで軽薄な人間を生んだのだ。

このことは、はからずもコロナ騒ぎで浮き彫りになった、
戦後76年の明記すべき総括のひとつだ。
笹幸恵

昭和49年、神奈川県生まれ。ジャーナリスト。大妻女子大学短期大学部卒業後、出版社の編集記者を経て、平成13年にフリーとなる。国内外の戦争遺跡巡りや、戦場となった地への慰霊巡拝などを続け、大東亜戦争をテーマにした記事や書籍を発表。現在は、戦友会である「全国ソロモン会」常任理事を務める。戦争経験者の講演会を中心とする近現代史研究会(PandA会)主宰。大妻女子大学非常勤講師。國學院大學大学院文学研究科博士前期課程修了(歴史学修士)。著書に『女ひとり玉砕の島を行く』(文藝春秋)、『「白紙召集」で散る-軍属たちのガダルカナル戦記』(新潮社)、『「日本男児」という生き方』(草思社)、『沖縄戦 二十四歳の大隊長』(学研パブリッシング)など。

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